誰からの手紙でしょうか

最近、自分の考えばかり書きつらぬて厚かましいなあと思っていたので、
今回はちょっと小休止して、その昔、ふと目にして衝撃を受けた手紙をご紹介します。
みなさんご存知のある方が、死の10日前に書いた手紙です。

  八月廿九日附
  お手紙ありがたく拝誦いたしました。
  あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。
  私もお蔭で大分癒っては居りますが、
  どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、
  咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、
  或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、
  仲々もう全い健康は得られさうもありません。
  けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら
  七八時間は何かしてゐられるやうになりました。

  あなたがいろいろ思ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが、
  それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。
  しかも心持ちばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。
  私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、
  「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。
  僅かばかりの才能とか、器量とか、身分とか財産とかいふものが
  何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、
  じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、
  いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引揚げに来るものがあるやうに思ひ、
  空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、
  幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのをみては、
  たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。
  あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、
  しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。

  風のなかを自由にあるけるとか、
  はっきりした声で何時間も話ができるとか、
  じぶんの兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことは
  できないものから見れば神の業にも均しいものです。
  そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、
  本気に観察した世界の実際と余りに遠いものです。
  どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
  上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、
  楽しめるものは楽しみ、
  苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。

  いろいろ生意気なことを書きました。
  病苦に免じて赦して下さい。
  それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。
  また書きます。

  
1933年、宮沢賢治が教え子にむけて書いた手紙です。

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