マナーは何のため?

一昨日、仲良くさせていただいている管理者さんお二人から「職場で最低限の礼儀やマナーがなかなかスタッフに浸透しない。どうしたもんか…」とお話がありました。
これほんとにこの業界に来てから驚くほど耳にする悩みです。立場柄、社長さんやマネージャーさんとお会いする機会がしばしばありますが、どうなんだろう、体感だと99%の方からこの悩みを聞きますね。それに何を隠そう私自身、自分でも思いっきり体験済みです。

弊ステーションは今5年目を迎えていますが、幸いなことにうちのスタッフたちは礼儀や言葉遣いが丁寧にできている(見えているかぎりでは)ほうだと思います。私が口うるさくしつこく言ってきたのもありますが、それは半分で、あとの半分は、そういう人がたまたま集まってくれた、残ってくれたというのが実情です。こういう空気感になるまでに3年半ほどかかりました。

大前提として、会社はしつけをするための場所ではありません。
それぞれの役割を果たして、共有する利益と価値を増やしていくための組織です。

そこで。
聞き入れる気もない相手に説明しても無意味かもしれませんが、指導していく立場の人が原理をわかってないのも心許ないと思うので、礼儀やマナーは誰のために何のために必要なのか、私なりの意見を書いてみます。

常識だからとか、相手を尊重するためとか、思い浮かぶ方もいるんじゃないでしょうか。

私は違う意見です。私は「自分の自由のため」に礼儀やマナーを最大限利用することにしています。自分の能力や人柄を、相手に自由に判断してもらうため、自由に判断してもらいたいという「自分の自由のため」です。そのためにこんな便利な「型」はないと思っています。

当たり前ですが、初対面で怒鳴ったりしたら先入観を持たれますよね。逆も然りです。また、相手が困った体で初対面から依存してこようとすれば、身構えてしまいます。この類の緊張にかかる余計なコストってもったいない、私にはそういう感じがします。げんなりしてる時間がもったいない。たとえば、相手が毅然とした人なら関係を即切られるでしょうし、付き合ってくれる相手なら振り回すことになるでしょう。自分の自由のみならず、相手の自由もその都度奪っているんです。

他人を威圧したり振り回したりする人は、その場では思いのままに振る舞えたような気になって、またそれを許してもらえてご満足かもしれませんが、同時に失っているものがあまりに大きすぎること、それを続けるかぎり許してくれる相手を次々と探し続けなきゃやっていけない、それによって失ってゆく時間については自覚した方がいいと思います。相手はいつか必ず感じとります「そうか、この人によって自分の自由が削がれているんだ」と。

私は、相手がその人なりに手に入れたその人自身の能力や感性を私の好きなように感じたいですし、自分が自分なりに手に入れた自分自身の現在を好きなように感じてもらいたいです。なので、これからも、マナーや礼儀と呼ばれているめちゃくちゃ便利なことこの上ない「型」をせっせと利用していくつもりです。世の中や人のためじゃなく、自分の自由のためにです。

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