なにをやりたいか

よりも、なにを信じているか、をコアにおいて経営しています。
なぜやりたいか、でもいいです。

私は「次の時代の価値を担うのは在宅ケアに携わる人たちだ」と本気で考えています。
訪問看護事業で目先の利益を追いかけるなんてことは、いくら今後も需要が見込まれるからといっても、
これだけステーションが出来ては潰れを繰り返して狭くなっている業界ですから、
どう考えても小さな法人には不利です。

では、なぜ起業したか。
在宅ケアに携わる人たちが社会において「どう存在すべきで、なにを発信すべきなのか」を設計したいからです。
デザインしてみたいからです。

人工知能の進化によって、今後、これまで人間が担ってきた仕事の多くをAIが担うことになるだろうとはよく言われています。個人的には、そのこと自体には肯定的です。底辺労働がAIに取って代わられるリスクばかりが流布されていますが、私はそうは思っていません。むしろ、いま高給取りの職業のなかにも、AIのほうがはるかに有効な仕事があるだろうと考えていて、もしかしたら、ちょっとしたシャッフル、地殻変動が起きるかもしれないなとも思います。

そこで、AIとの協働、共生を考えたとき、人間が担うべき仕事とはなんなのでしょう。
それはおそらく「答えあわせしようのない仕事」だと思います。価格は生みにくいが、価値は生める仕事。
模索しながら、その都度ベストな選択をせざるをえず、また新たな問いにぶつかるような仕事。
芸術とか、職人の技とか、まさにそうですよね。
私には、その中に在宅ケアに携わる人たちが含まれるべきだ、という確信があります。

障害や病気や老いは、究極的には他人のせいにできません。自身で引き受けるしかありません。

在宅ケアに携わる人たちは、
個人が追い込まれたときの、ほんとうの、苦しみや厳しさを肌感覚で知っている人たち、
どんな職業だろうと、過去になにをしていようと、ケアという「肯定」を日々届ける人たち、
ある意味で、人間という生き物においての第一級の情報を常に浴びている人たちです。

この人たちが既存の枠にとらわれることなく、看護のための看護や、リハのためのリハ、介護のための介護、ではなく、
もっと自在に流動的に、社会をささえるプレイヤーとしてどういう風に存在したら社会にとって有益なのでしょうか。
この人たちが、社会に向けて何をどう発信し、何を伝えていけば、お互いに豊かになるのでしょうか。
もちろん簡単には答えは見つかりませんが、私は、経営者として、ステーションを預かる者として、現場のプレイヤーを裏方で支える者として、常にそういう未来を見つめていたいと思っています。

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