ソローニュの森

弊ステーション2Fの休憩室にはこんな本たちが並んでいます。

この中で、たくさん付箋のついている一冊があります。
光の加減もあり、ややくすんでいてわかりにくいのですが、
左から8冊目、医学書院さんの「ケアをひらく」シリーズの中でも、
特に好きな一冊『ソローニュの森』です。

おそらく、いわゆる書評的なものは、
もうすでにいろんな方が書いてらっしゃると思うので、
わたしは、ちょっと違う書き方でご紹介してみます。

舞台は、ラ・ボルドというフランスの精神病院。
田村尚子さんという写真家が、写真と文章で綴っていきます。

患者さんの会話、患者さんの表情、
患者さんの手紙、患者さんの孤独、
その「患者さん」を「ソローニュ」に言い換えられ、
しばらくすると、ふと「どこか」に言い変わる本です。

何度読み返しても、何かを見過ごしたような気がする。
そもそも、見過ごすことを設定づけられている気すらする。
自分なりの解釈と編集がまるでおよばないイメージが、
次々に動いてゆきます。まるで呼吸を続けるように。

イメージを運動させていくのではなく、
イメージが運動を欲している運動です。
球技のようにダイナミックにボールは動きません。
蹴鞠くらい昔に忘れられた遊びでもありません。

こういうの、ほんとは知ってるよね。
と、体内にイメージがすべりこんで語りかけてくる。

途中「詩的なロジック」という言葉が出てきます。

詩は、安定した言語同士のつながりを超越する衝突、
意味同士の衝突から創造されていくとするなら、
それはまさに「他者」が必要とされるということです。

たえず他者とくっついたりはなれたり、
出会うたびに新しい様相を交換し合い、
無限の呼吸をいつも予感していること。

ふと引き込まれて、息を止めて、
見つめれば見つめるほど、見つめ返してくる。
そういえば、ひとり目を閉じた時に浮かぶ世界は、
こんな感じの、重力のある明るさじゃなかったかな。

おはよう ばいばい

今日、朝のわずか30分ほどの間に、印象深かったことがふたつあったので、雑記として。

(ひとつ)
私は毎朝、バス停までの公園で、
少し時間を過ごして仕事モードに整えています。
今日は、近所で工事が行われるようで、
日焼けした男たちが数人集まっていました。

そのうちのひとりに、
「おはよう」と声をかけられ、
「おはよう」と返しました。

とっさに「あ、おれ違います」と付け添えました。
すると、「まあ違うけどさ、おはよう」とにっこり。

(ふたつ)
バスに乗って次の停留所でのこと。
乗り込んできた男性を、歩道から見ている女性がいました。
おそらく親子ではなく、だいぶ歳の差がありそうな印象。
見送りに来たようです。

男性は、気恥ずかしいのか、外を見ようとしません。
そのうち、バスが動き出しました。
歩道の女性は、両手を小さく振っています。
満面の笑顔の口元は「ばいばい」と言っていました。

男性は流し目で照れ笑いしながら、
女性よりも小さく片手を振って返しました。

わたしたち、一枚の写真も残すことがなくても、出会った者同士なんですよね。

おはよう
ばいばい

ひとは結構、かっこよくて、かわいい。

先か、後か。

個人事業系の異業種から入ってきたせいか、わりとよく「訪問看護をやろうと思ったきっかけは?」と聞かれます。
正直なところ、きっかけは今までのすべてだと思っていて、いつも答えに困るのですが、それなりに思いあたるフシはあるので、今回はその中のひとつについてお話ししてみたいと思います。

このブログでも紹介したことがある祖母についてです。
花街の酒屋さんを商売でやりながら、酒屋の奥の居間でお弟子さんたちに稽古を(たくさんの免状を持っていました)つけていた人で、私はこの方の影響を結構受けている自覚があります。
超優良個人事業主とでもいうのでしょうか。酒屋の番頭やりながら、お弟子さんがきたら稽古つけて、夜は宴席のヘルプで呼ばれて、仲居にとどまらず厨房で食事までつくっちゃっう上に、最後にはごっそりビールの注文とって夜中に帰ってくる…。私がイメージする「大人が働くこと」ってこういう感じなんです。もちろん、不平不満どころか愚痴ひとつ言わず、「そのうち、ひとりカルチャーセンターつくってみせる!!」と豪語してました。その後の世の流れを見ると先見の明があったのかもしれません。※余談ですが、私の大切なファーストキスを奪ったのもこの人です。

祖母がある日、転んで骨折しました。
少しでも楽になるように実家のソファベッドをプレゼントし、そこで過ごすようになりました。祖母の性格からしてめちゃくちゃ負けず嫌いなので、病人扱いも嫌がり、意気揚々として復帰を目指していました。でも、そのうち、上がり框が高い昔の商店での暮らしもしんどくなり、商家ごと売却して近所のマンションに引っ越しました。そこからです、吃驚する速度で一気に落ちたのは。
いまこういう仕事に携わるようになってつくづく感じるのは、骨折したり、怪我したり、など身体機能の剥奪にはまだ人は耐えうるけれど、自分を包む匂いとか景色とか、自分が何かをしたり考えたりする時の器になっているもの、そういったものを剥奪されると、外への興味が失われるということです。

その後、祖母は施設に入所し、みるみる落ちていき、亡くなりました。
当時の私には、そのことに異議をとなえることはできませんでした。仕方ない、と。

誰からも個性的といわれた彼女、エキセントリックだった彼女、毎月銀座に遊びにきていた彼女、最期の時間は、けっして彼女にふさわしいものではなかったと思います。

誰も悪くないし、誰にも悪意はなかった。
でも、私、ずっと後悔しているんです。何の根拠もない、理屈で消しようのない気持ちなんです。
だからきっと、本当のことなんだと思います。そんな得体の知れない黒々とした怒り、自分に向かう怒り、がこの仕事をしているきっかけのひとつです。

「後悔」は、「後から悔やむ」と書きますが、先に悔やんでいれば実践にチャレンジしていけるので、いまの私は「先悔」でもしているんですかね。よくわかりません。

こんな思いを誰にもして欲しくない、ってことです。
あんなにかわいがってくれて、あんなに守ってくれた人なのに。
祖母には御返しできなかったので、もう町に御返しするしかないんです。

とは言っても、したたかで狡猾な人だったんで、こんな風に私をおとしいれる謀略だったのかもしれないですけどね。

20200415

真に正直であれるかどうかは別として、
ごまかさず言わなきゃいけない時は、誰にでもあります。

私にとって、いまが疑いなくその時です。

まずは、医療関係者の端くれとして、日々感染の最前線で闘っている方々(もちろん私の大切な友人やたくさんいます)に、心からの、魂からの、慰労と称賛を送ります。

二ヶ月前、私はこんな風に思っていました。
「インフルエンザの強いやつなのかな」
「うちは特定接種の指定も受けてるからなんとかなる」

とんでもなかったです。もうすでに五輪延期が遠い昔のことのようです。
個人的に、自分が今まで生きてきた中で最もあやうい時代に入ったと感じていますし、私たちは、間違いなく後世に語り継がれる時代を生きていると思います。国家間での対立構図がわかりやすい戦争はもう起きないにせよ、もし仮に起きたとしても、ここまで一斉に、一撃で、逃げ場のないダメージを負うことはないんじゃないだろうかとすら思います。基礎疾患がなく健常な若い人にとってはほとんど影響がない、とされているウイルスであるにも関わらずです。これが何を意味するか、現代を生きる私たちは、よくよく考えておくべきだと思います。詳細は省きますが、信頼と資源が逆流した途端に一瞬で地盤沈下する、そんな薄氷の上に建つ集合住宅に私たちは住んでいるということです。

そこで。
先日あるスタッフにも伝えたのですが、もうコロナ以前の世界は戻ってこないと私は考えています。コロナ以後をどう生きるかしかないのです。
では、コロナ以前の世界とはどういう世界だったでしょうか。居心地はよかったですか?未来に希望は持てていた?自分の可能性に挑戦できていた?早く死にたいと思ってなかった?あるいは抜け目ない人生を気に入っていた?そもそもコロナ以前に戻りたいと懐かしめますか?

正直に言います。私は、YesともNoとも言えません。
もちろん、起業したのは社会に対してチャレンジしたい何かがあったから、納得いかない現実を自力で解決しようとしていたからです。それは変わっていませんし、起業の理念は一ミリも変わっていません。ですが、先進国の一員として存在しているだけで、それだけの恩恵は間違いなく受けており、つまり自分は十分に種族における加害者だという認識も常にあります。善悪の話じゃないです。偶然の上に存在している自分が、何かや誰かを裁くことに抜きがたい違和感があるいうことです。

ただ、グローバリズムによる痛みと歪みは誰もが間違いなく実感していたとは思います。この仕事をしていると、まるで戦時下のような暮らしを強いられている(ここが大事です)ひと、心理的に闘争状態か鬱状態にならないと生存できないようなひと、信頼も資源も取り上げられたまま意思すら表現しなくなったひと、そんな人々がたくさんいることを理屈を超越してよくわかります。

放置してきたんですよね。見て見ぬふりです。
傷ついている人々を放置し、見て見ぬふりして、得たのがこれです。
とぼけているためなら、どんな理屈でもつけてきたんですよ。

コロナ後の世界をどう生きるべきでしょうか。
いや、今回はそんなもの用意されてないんですよ。
だから、あなたはどう生きたいか、どういう世界にしたいか、です。

私には、きっかけとして、ふたつ思い出されることがあります。

ひとつめ。
先日、久しぶりにジャック・アタリがテレビ出演していました。
だいぶ以前から「利他主義」をかかげていた氏ですが、今回のコロナでさらに「合理的な利他主義」を提唱していました。まさにですね。他人を感染させないこと、他人を守ることが、そのまま自分を守ることに直結するのです。10年ほど前に触れてとても感銘を受けた氏ですが、もう一度考えてみたくなるいい機会をくれました。

もうひとつ。
柄谷行人氏がカントを引用するときに用いる「他人を手段としてのみならず、同時に目的として扱う」という解説です。「手段としてではなく」というのが重要です。およそ現代を生きているひとは、離島でひとり自給自足でもしていなければ、誰もが他人を手段として利用しながら生きています。ただ、同時に手段として「のみならず」目的として認識することで、強度と持続性のあるネットワークを、またそれを構築するプロセスを創り出せないでしょうか。

最後に。
これだけのダメージの後ですから、どこかのタイミングで間違いなく「総体」を第一目的とするムーヴメントが起きるでしょう。私は反体制主義者でも革命家でもなんでもないですが、非常にあやうい局面がくるだろうと危惧しています。ですが、それ自体を否定することにはまったく意味がありませんし、悲観することもありません。そんなもの、いつでもあるのです。顕在化しているかどうかの違いだけです。大切なのは、自分は個体としてどう生きていくのか、自分の責任と自由を何に求めるのか、それだけが試されていくのだと思います。

フェデリコ・フェリーニ監督の名作『8 1/2』の重要なシーンでこんなセリフがあります。
「人生はカーニバルだ、ともに生きよう」

ひとが「ともに生きる」というとき、生者だけでなく、
とっくに亡くなった者たちも、まだ生まれてきていない者たちも、含まれると思います。

今日から4年目

みなさま、こんにちは。

いおりは今日から4年目に入ります。
この日を迎えることができたのは、
私たちを応援してくださっているみなさまのおかげです。
心より感謝申し上げます。いつもありがとうございます。

根拠と論理をフル稼働させながら、人の暮らしと心を、
そして町の可能性を広げていく訪問看護師さんを、本当に凄いと私は思っています。
私の仕事は、彼らにどう存在してもらうべきかをデザインすることです。
これからも、ぶれずに私たちらしくまっすぐ歩いてまいります。

4年目も、どうぞよろしくお願いいたします。

もうすぐ満三歳

何かの節目に読み返している文章がいくつかありますが、
今日ご紹介するのもその中のひとつです。
ステーションが三歳を迎えるにあたり、
また、長期的なプロジェクトが始動しそうなこともあり、
このタイミングで読んでおきたくなりました。
ご興味ある方は、ご一読ください。

ちなみに、みなさんよくご存知の作家が教え子に向けて書いた手紙です。

………………………………………………………………………………………

八月廿九日附お手紙ありがたく拝誦いたしました。
あなたはいよいよご元気なやうで実に何よりです。
私もお蔭で大分癒っては居りますが、
どうも今度は前とちがってラッセル音容易に除こらず、
咳がはじまると仕事も何も手につかずまる二時間も続いたり、
或は夜中胸がぴうぴう鳴って眠られなかったり、
仲々もう全い健康は得られさうもありません。
けれども咳のないときはとにかく人並に机に座って切れ切れながら
七八時間は何かしてゐられるやうなりました。

あなたがいろいろ想ひ出して書かれたやうなことは最早二度と出来さうもありませんが
それに代ることはきっとやる積りで毎日やっきとなって居ります。
しかも心持ばかり焦ってつまづいてばかりゐるやうな訳です。
私のかういふ惨めな失敗はたゞもう今日の時代一般の巨きな病、
「慢」といふものの一支流に過って身を加へたことに原因します。
僅かばかりの才能とか、器量とか、
身分とか財産とかいふものが何かじぶんのからだについたものででもあるかと思ひ、
じぶんの仕事を卑しみ、同輩を嘲り、
いまにどこからかじぶんを所謂社会の高みへ引き上げに来るものがあるやうに思ひ、
空想をのみ生活して却って完全な現在の生活をば味ふこともせず、
幾年かゞ空しく過ぎて漸く自分の築いてゐた蜃気楼の消えるのを見ては、
たゞもう人を怒り世間を憤り従って師友を失ひ憂悶病を得るといったやうな順序です。
あなたは賢いしかういふ過りはなさらないでせうが、
しかし何といっても時代が時代ですから充分にご戒心下さい。

風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、
自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことは
できないものから見れば神の業にも均しいものです。
そんなことはもう人間の当然の権利だなどといふやうな考では、
本気に観察した世界の実際と余り遠いものです。どうか今のご生活を大切にお護り下さい。
上のそらでなしに、しっかり落ちついて、一時の感激や興奮を避け、
楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう。
いろいろ生意気なことを書きました。病苦に免じて赦して下さい。
それでも今年は心配したやうでなしに作もよくて実にお互心強いではありませんか。
また書きます。

………………………………………………………………………………………

宮沢賢治が死の十日前に書いた手紙です。
四年目もどうぞよろしくお願いいたします。

visiting nurse

英語では何通りかの言い方があるみたいですが、
個人的には、訪問看護師=タイトルの呼び方が好きです。

今回書きたいことは、個人情報にも関わってくることで、正直悩みました。
ですが、いおりの特徴でもありますし、是非知ってもらいたいことなので、
出来るだけ具体的な描写は控えつつ、書いてみたいと思います。
だいぶ筆が鈍く、また恣意的な印象のエントリーになるとは思いますが、
そういう事情ですので、どうかご容赦ください。

弊ステーションの目黒サテライトでは、通常のご依頼も承りつつ、
障害や精神や重心へのアプローチを大切にしています。
それは、利用者さまご本人のみならず、親御さんはもちろん、
ご友人や生活空間が含まれるネットワークにアプローチすることです。

障害を抱えるお子さんを持つ親御さんの不安は、
とても平易に語れるものではありません。
認識にならない。なりえない。
人間関係は家族であろうと複雑で流動的です。
それでもやはり、自分がこの世を去った後のこと、
確実に一日ずつ訪れるその日への不安は、想像を絶します。

この子はどうなるんだろうか。
誰と暮らしていくのだろうか。
誰が助けてくれるのだろうか。
自分に責任があるんじゃないだろうか。
もうすぐ背負えなくなる時がくるのに。
受容できるのだろうか。お互いに。

その状況に直面している某訪問看護師は、
病院、主治医、相談員さん、グループホームのスタッフさん、などなど…
その方にまつわるすべての関係者を巻き込んで、カンファを繰り返しています。
取り返しのつかないことにならないように必死で最善策を考えてくれています。
利用者さまの御宅に訪問するのがいわゆる訪問看護師の仕事ですが、
もはやどこに訪問しているかわからないくらいの動き方と連携をしてくれています。
でも、visiting nurse なら出来るんですよね。
出会いに行く、伝えに行く、看護師さんなのですから。

先々月、あるスタッフから相談を受けました。
また先ほどとは別の利用者さまについて、
サービスを終了させた方がいいのかどうかの相談でした。
その時のスタッフからの答えが強烈に印象に残っています。

私は「もし売り上げを意識して迷っているなら、気にしないでいいよ」と答えたんです。
スタッフは「ありがとうございます。でも、わたし、そう言われちゃうと苦しいんです」

響く人には、直撃する会話ですよね。
私も介護ですが現場出身なので、すぐにニュアンスを思い出してハッとしました。
こんな風にストレートな思いをスタッフが伝えてくれること、この上なく幸せです。

訪問看護師さんて、すごいです。

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