えーっと、実は久々に本格的な体調不良でして…。
じゃあ、ブログなんて書いてないでさっさと休めとも思うんですが、
それは、まあ、最後に理由を書くとして。
三十年前の冬、中学校三年生の私はあるコンサートに行きました。
そう、当時復活ワールドツアー中だったPaul McCartneyです。
何度かこのブログでも演奏について不遜な物言いさせてもらっていますが、
当時の私、もう自分でギター弾いて歌ったりしていた頃で、
練習しては録音し、自分の演奏を聴いてみても、ささやかな自信があったんです。
もうね、、、The Beatlesにハマりまくっていて。。。
授業中、ずっと歌詞を翻訳していたことで英語が得意になったし、
ギターのネックに近い厚みのアルミ製の筆箱を買ってきては、
裏にマジックペンでフレットと弦を書き込み、
指攣りそうになりながらも押さえまくる練習をしていました。
一曲仕上がると、友人に無理やり聞かせ、
ほとばしる才能を見せつけていたわけです。あほですね。
そして当日。東京ドーム。
たしか当時のPaulは48歳くらいだったけど、
もうね、ショックでした。凄かったです。ガツンとやられました。
なにがって「こんなに声を出すんだ」ということに吃驚したんです。
自分がそれまで耳にしてきたのは、
あくまでメディアに記録されている音だったわけで、
それはもちろん悪いことでもなんでもないんだけど、
本人が、生身の本人が目の前で発散しているそのもの、
その迫力って凄いし、それを感じ取ることも凄いんだなと。
それ以来、自分の演奏が向かう先、その景色が変わったんです。
似たような話を別で聞いたこともあります。
アメリカで活動している日本人ジャズギタリストの方が話していたのですが、
まだ日本に住んでいた頃、当時高校生でライブホールのアルバイトをしていた時、
すごいグループの来日公演に立ち会えた。そのバンドのギタリストに、
「自分もジャズやってるんですけど、よかったら聞きに来てください」と伝えたら、
なんと、小さなライブハウスに本当に来てくれたと。
それで、楽屋に転がっている安物の楽器とアンプでちょろっと弾いてみせてくれたら、
もう、そのギタリストの音になっていて吃驚したらしいのです。
その時、もちろん機材が良いに越したことはないけれど、
あくまで、指のアクションでその人自身の音が出ることに気づけたと。
ただこれもですね、エピソードとしてめっちゃ素敵なんですが、
やっぱり当事者に突き刺さった衝撃は、なかなか伝わりにくいとも思います。
なので、自分自身にとっての刺されるチャンスを逃さないようにしたいですね。
生身の人間がやれることの迫力って、本当に凄まじいです。
メディアや情報に流されがちな時代であるならなおさらです。
ところで、なんでこんなネタを書いたのかと言うと、
ああ、自分が疲れているな、と心の深い部分があやうくなったとき、
昔に夢中になった音楽が救ってくれること、ありませんか?
誰もが成長過程で通過する時代、
理屈や解釈におさまらず感覚だけで世界を広げていく時代、
その時代に愛したものは、そうそう嫌いにはなれないし、
ふとしたときに出会いなおすと、また手を繋いでくれます。
今日は、これを聴きました。