誰もに苦い思い出のひとつやふたつ、あると思います。
ひとつやふたつじゃすまないくらい、私にもあります。
そのうちのひとつ、について今夜は書いてみようと思います。
特に意識していた記憶もないのですが、
私は、障害児と近い環境にいたみたいです。
幼稚園の同級だった自閉症の子は、(後で母から聞いたことですが)、
担任が「〇〇くん(私)がいつも通訳してくれるんですよ」と言っていたらしく、
私にもおぼろげながら仲良くしていた記憶があります。
あと、住んでいた家の近所に知的障害児の学校があり、
毎朝、そこを通る通学バスの子たちが仲良くしてくれていたらしく、
それもおぼろげながら憶えています。
そして、Mくん。
Mくんは当時でいうところの「知恵遅れ」の子でした。
家が近所で、なんとなく行き来しているうちに仲良くなったのですが、
一緒に遊んでいても、どうもまどろっこしくてこちらがイライラしたりしたこと、
あと、Mくんはいきなり自傷してしまう癖があって、
ふと目を離した隙に、自分で自分の鼻をモノで殴ってしまい、
うちのダイヤル式電話が血に染まった風景を今でも鮮明に憶えています。
でも、私以外に、Mくんには友達らしい友達はいませんでした。
私も、近所でなかったら、友達になっていたかわかりません。
数年後、小学校に入ってすぐの夏休み明けに(ちょうど今くらいの季節ですね)
私の父の転職が決まり、その当時住んでいたところよりも東京に近いところ、
いわゆる流行のベッドタウンに引っ越すことになりました。
小さいマンションですが、狭いながらも自分の部屋があるのがうれしくて、
自分の実力でもないのになんだか勝ち誇ったような浮かれた気分でいました。
私、Mくんにお別れを言っていません。
このことはずっと誰にも言っていなかったのですが、
訪問介護をはじめてすぐの頃、ある重度障害の利用者さんを担当することになり、
この方が、酸いも甘いも併せ呑んできたような方で、
年下の男としてかわいがってもらいつつ、
介護士として育ててもらっていたのもあり、
外出同行の際、聞いてもらったことがありました。
「逃げたな、おまえ」と今でも思っています、と。
その方は、「おまえ、やさしいなあ」と言いました。
私は、「とんでもないです、いやしいです」と言いました。
この季節になると、時折思い出します。