つよさ よわさ かたち なかみ など

今まで、うまくいかないことも多かったし、恥もかいたし、
裏切られたこともあったし、悔やんでいることもあります。
が、ひとつだけ、自分なりの指標として納得できているのが、
自分から見てとても優秀で、かつ客観的にも成果を上げている友人たちとの
信頼関係や提携関係を、変わらず長く維持できていることです。
その中には、実業家もいれば、クリエイターもいれば、社長も会社員もいて、
多様な信頼関係を継続できていることには、色々間違えてはきたけれど、
何か大切なものは間違えてなかったんだな、と自分なりに幸せを感じています。

自分でリスクを背負って、自分なりに為している人たち、
そういう友人たちの心からの言葉には、やっぱり孤独ゆえの凄みや深みがあり、
今回はいくつか印象的なのを紹介しつつ、だらだら書いてみようと思います。

「本当の悪人は、一般市民の顔をしているもんだよ。」
よく大量殺人のニュースで犯人について近所の方にインタビューしてるのを見ると、
あんな穏やかな人が、とか、よく挨拶してくれて優しそうだったのに、とか
その手の感想を多く見かけますが、要は、そういう人当たりのいい人だからこそ、
たくさんの人が巻き込まれてしまうんです。ひとは、強面においそれと近づきません。
それは極端な例としても、自分の経験上、たしかに真実味のある言葉です。
本当に卑しくて悪い者は、自分の大切な場所だけでは正義の顔をしておいて、
陰では、人にたかったり、せびったり、裏切ったりする者が多いです。
つまり、うしろめたいことをしている意識が(無意識でも)あるんですよ。
うしろめたいことは理解しているのに反省せず改めないのは、やっぱり悪人です。

「みかけが変えられないやつに、なかみなんて変えられない。」
一般的に、なかみが変われば自然にみかけが変わる、と
考えている人が多いと思いますが、むしろ逆こそ真の場合が多いんじゃないでしょうか。
おそらく、時代背景として、自分なりの情念や内面を尊重し優先していた方が、
アイデンティティの確保に楽だから、そちらが流布されているのです。
”オレ的には”ってやつです(最近はもう流行ってないのかな…)。
実は、みかけ(形)を変えようとすれば、おのずとなかみも変わっていきますよ。
どう考えても正しいことを伝えているのに、相手が引いてたりする場合は、
内容は変えずに伝え方や振る舞い方を変えてみればいいんです。
その”形を変えて伝えようとしてくれている誠意”は伝わりやすいですから。
似たもので、柄谷行人さんが書いていて納得したのが、
”内面があって告白をするのではなく、告白という制度が内面をつくっている。”
これも真を突いているなと思います。

「あなたは、悪いのではなく、弱いのです。」
これは元ネタがあるのですが、某経営者の友人が引用する言葉です。
弱いことが悪いこと、みたいなくだらない勝ち負け風潮がありますが、
そんな世間の空気に押しつぶされて苦しむ人がどれだけいるでしょうか。
弱さと悪さを区別して考えてるのはとても大切です。愛があると思います。
そこで、私なりには弱さと強さをどう考えているかというと、
弱さ=自分の願望や思い込みに、無理やり現実を合わせようとすること
強さ=現実に即して為したうえで、それを超える自分の願望を希求し続けること
になります。
おそらくですが、うまくいかずに苛々している人の殆どが、
この”弱さ”に身におぼえがあるのではないでしょうか。
前段の内容にも通じるところがありますね。

「簡単にほめるやつは、簡単にけなすからな。」
自分が興味ある分野において今の自分では敵わない人に対して、
無条件に、無批判に、愛し追従する人をたまに見かけますが、
こういう関係は、どこかで破綻するか共依存に陥ることが多いです。
ひとは、それぞれに至らない点や不自由な部分を抱えているわけで、
ある人をまるで信者のように過大評価し甘えるということは、
その人の欠点や失態までまるごと黙殺してしまうということです。
また、逆についても同じことが言えますね。
もし本当の信頼関係や愛情関係を築きたいのであれば、
”これについては間違っていますよ”、”こうすべきじゃないですか?”
と指摘できる、ちょっとした勇気を持つことが必須だと思います。
そうでないと、真っ只中にいる本人は充実していても、
はたからみれば、どう見ても信仰にしか見えないような関係に陥り、
そして信仰が崩れた時、すべての評価が簡単に引っくり返ります。

取りとめもなく書いてしまいましたが…
長くなってしまったので今回はこのへんで。
また、機をみてご紹介しますね。

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