最近、twitterで色々発信させてもらっています。
おかげさまで、絡んでくださる方も増えてきまして、
業界内外の方々の様々な悩みや問題提起を知れる機会になること、
自分なりの意見を言えること、とても楽しませてもらっていますし、
スピリットが近い方々のオフ会などにも誘っていただいています。
本当にありがとうございます。
その方々を見ていて感心したのが、わりと若めの人の傾向として、
無意識に自分を守る「村」をつくりたがる傾向があると思うのですが、
その方々は、多職種での交流や意見交換など、
ひらけてゆく、まざってゆく、ことを意識していることです。
こういう熱量から物事って変わりますから、今後楽しみな方々ですし、
自分も積極的に関わってゆきたいなと思います。
そんな中、ある若手看護師さんの、
「やりたいことがぶれる」、「自分の目標が定まらない」
というツイートがあり、たくさんのレスがついていました。
そこで今回は、自分なりの意見を書いてみたいと思います。
私は、色々な職業を経験してきた方だと思いますし、
いま現在も、いくつかを同時にこなしています。
そんな自分からすると「やりたいことを見つけなきゃ」と焦りを持つ時点で、
もう立派にスタートを切っている十分にしっかりした方だなという印象です。
大体の人は、すでに誰かがつくった仕事に就くわけで、
そこに自分なりのやりがいや目標を見いだすのは困難で当たり前です。
感覚論で申し訳ないですが、自分の実感からいうと、
自分の才能の半分以上は他人が決めてくれましたね。
おかげさま、が半分で、やってやったぜ、が半分です。
ただ、その中でも悔やんでいることや学んだことはあるので、
自分なりに見つけたルールを思いつくまま三つほど書いてみますね。
まず、知ったようなことをしないことです。
自分はすべてお見通し、みたいに動いて大恥かいたことはありますが、
突き動かされて、おっちょこちょいで動いての後悔はないんですよ。
これ、おそらく人間の本質じゃないでしょうか。
そもそも、個人の思想はおっちょこちょいのとんちんかんなんだから、
動きながら考えればいいんです。
つぎに、嘘の扱い方ですね。
他人に便宜上の嘘はついてもいいけど(よくない?)、自分に嘘はつかないことです。
自分がついた嘘に乗せられちゃうと、あっという間にのっとられちゃいます。
流麗に話せる人が素晴らしい理念で豊かなことを実現するわけではないですよね?
むしろ、いい創り手は、批評家としてはまるでダメだったりします。
でも、それでいいんです。分かることと出来ることは別だということです。
三つめは、問いと答えのバランスです。
多くの人が「問いが答えを決めている」と考えている気がします。
本当にそうでしょうか?
私は、両方か、むしろ逆だと考えています。
つまり、問いが答えを狭めるのではなく、
わかりやすい答えが出るに決まっている、という固定観念が、
問い自体を狭めてしまう可能性もあるのではないでしょうか。
実世界において、特にこの業界において、
答え合わせで解決することってほとんどないと思います。
問い続けることしかできないし、その問いは深く豊かであればあるほどいい。
長くなっちゃいましたが、最後に。
焦る気持ちがあるだけで、十分スタートを切っています。
そんな自分をまず受け入れて、肯定してあげてください。
同時に、その初心を忘れないでください。
大きな転換期をむかえている日本の医療介護業界、
みなさんのような誠実でクリエイティブな方々が背負ってゆくのです。
是非一緒に、闘いながら、未来をつくりましょう。