変化にまつわるエトセトラ

以前にも少しふれたと思いますが、
今年度のいおりは、おそらく、転換期であり成長期に入ったと思っています。
これまで撒いてきた種がちらほら芽吹いてきているのが実感できていますし、
それがイメージだった時期を過ぎて、目に見えるようになってきました。
つまり、変化していく年になるでしょう。
このブログを読んでくださっている方の中にも、
今月から暮らしが変化している方も多いと思います。

ところで、人生における変化は、今までどう起きてました?

わたしは、ほとんど憑依されたような形でしか変化できたことがありません。
一方的に、向こう側からやってきて、視界がひらけるように出会い、
それを無視できずに、次の場所まで一緒に歩くことになる。
そんなプロセスでした。
ですので、はっきり申し上げて、「自分では変化できない」と思っています。
また、「無視できずに」の理由は、たいていその出会いに感動してしまうからで、
感動とは、「知ることと信じることが直結すること」だと考えているので、
出会いを信じたときのみ、自分を変化させることが出来ていることになります。

ただ、ここにほんのちょっとばかりの勇気がいります。
自分の馴染んだルールや方法に相手を引き寄せるほうが安全ですから、
どうしても、気をぬくと、ついそうしがちなんですが、
思いっきり相手の土俵にのってみる、相手の思考回路を学んでみる、
そのくらいでいて、ちょうど自分の半分くらいしか侵食されないもんです。

わたしにも、様々な領域の仲間がいますし、仲間はわたしの財産ですが、
その人たちそれぞれが、ひとりひとりがそういう気質なので、
仲間自体が閉じることもないし、むしろ広がってゆきます。
この感触、一度味をしめると本当に愉しいことこの上ないですよ。

まわりの人たちを「自分が変わらないために」利用してしまう人もいますが、
たまに「自分が変わるために」「自分が御しにくい相手」に出会っていないと、
少しずつ、閉塞して疲れてきてしまうものです。

不思議ですよね。
自由であるためには、他者に向かうことが必要なんです。
その他者は、いまの自分にはない宝物を、そうと気付かずに持っている人です。
ちょっと怖いけど、ちょっと慣れないけど、ちょっと遠慮したいけど、
まっすぐに向き合って出会ってゆけば、必ずその宝物を差し出してくれますよ。
その宝物は、今まであなたが見たことも触ったこともない宝物です。
なので、値段のつけようもないし、輝きようも知らないのです。
それは、お互いに、です。

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