実は持ち歌なのに
あまりにも名曲すぎて、
あまりにもヒットしすぎて、
ほとんど人前では演ってこなかった。
真面目に音楽に取り組んできた人なら、
そういう曲、いくつかあると思います。
私にとって、Eric Claptonの“Tears in heaven”がそうでした。
まず、この歌が生まれた背景を説明しておかなきゃいけませんね。
1992年発売の大ヒット曲なんですが、実は前年、
まだ4歳だったClaptonの息子が自宅マンションから転落死しています。
失意にくれたClaptonは自宅に籠もりっきりになりますが、
悲しみをこえ、この歌を発表することでカムバックしました。
この歌、Kさん(このブログにも登場した元利用者さん)が亡くなられた時、
どういう縁か、たまたまyoutubeのおすすめに出てきて、ものすごく久々に聴いたんです。
そしたら、Clapton自身が天国の息子に歌いかけている歌詞なんですが、
自分が愛して、でも先立ってしまったすべてのものに通じることに気づいたんです。
恋人でも、ペットでも、利用者さんでも、なんでもすべてに。
なんで今まで気がつかなかったんだろう。
一見、不思議なようですが、
本当にパーソナルな体験こそが、
誰もに通ずる普遍的な体験になりうるのかもしれません。
では、歌詞(和訳)をご紹介して、
最後に歌をのせておきます。名曲です。
Tears in heaven by Eric Clapton
ぼくの名前をおぼえていてくれるだろうか
天国できみに会ったなら
同じようにしてくれるのだろうか
天国できみに会ったなら
強く生きなきゃいけないね 続けていかなきゃね
わかってるよ ぼくがいるのは天国じゃないってこと
ぼくの手をささえてくれるだろうか
天国できみに会ったなら
ぼくが立つのを手助けしてくれるだろうか
天国できみに会ったなら
自分の生き方を探さなきゃね 四六時中でも
わかってるよ ぼくの居場所は天国じゃないんだよね
時の経過は人を悲しい気持ちにさせる
時の流れは人を跪かせ心を痛めつけ
そして人は救いを請うようになる
お願いだから お願いだから
その扉の向こうには
きっと平穏があるんだろう
だからぼくはもうわかってるんだ
天国に涙なんてないってことを
ぼくの名前をおぼえていてくれるだろうか
天国できみに会ったなら
同じようにしてくれるのだろうか
天国できみに会ったなら
強く生きなきゃいけないね 続けていかなきゃね
わかってるよ ぼくがいるのは天国じゃないってこと
わかってるよ ぼくの居場所は天国じゃないんだよね