起業時からやりたかったことがこんなに早く実現できるなんて。
何よりもまずは、コーディネートに奔走してくれたこの方、友人でもあり、ご近所の保健師さんでもあるふじはるにこの場を借りて御礼を言います。
本当にお疲れさま!えーんど、ありがとう!
ふじはる本人がとても想いのこもったレポートをnoteにあげてくれているので、そちらはおまかせするとして、私なりにこの企画をやりたかった理由を書いておきたいと思います。
そもそも、私が起業してステーションをやりたかったのは、事業として拡大路線を狙って稼ごうとしてではないのです。もちろんこれは、事業としてそういった指向性の方を批判するものでは一切ありません。私自身がステーションを運営するにあたり、そういったモチベーションを保てないし、単純に言って下手くそだろうし、それ以外のことばかり着想してしまうという、自分の指向性によるものです。
弊社の理念:ケアとデザインでくらしをつなぐ
デザインと聞くと、かっこいいフォルムだとか、見栄えのいい色合いだとか、そんなイメージを思い浮かべる方が多いと思いますが、デザインの本質はふたつ、「情報整理」と「関係の再構築」だと私は考えています。弊社なのかもの言葉を借りるなら、ずばり「ソリューション」とも言えます。
いま、孤立や予期不安が問題になっていますよね。
これ、突然発生しちゃった問題じゃないですよね。
ずっと、こうなるだろうとわかっていたことですよね。
なぜ、放置しちゃったのでしょうか。
(でも、このことを悔やんで悩むより)
そもそも、放置ってなんでしょうか。
(こちらに気づくことが大切だと思って)
放置の条件とは何か・・・(あほですね)
ではなく、そこに必ず欠いているものを理解しないといけないなと。
それはきっと、
「出会い」と「対話」です。
イベントの最後にご挨拶させていただいたのですが、その時にお話しさせていただいたのが、保険制度は素晴らしいものだしありがたいものだけど、いわゆる窓口に相談に行った場合、そこでは心理的に「本題」を語らなければいけないプレッシャーがあるのかもしれないということです。「何に」困っている、「誰が」おかしくなっている、「どう」したい、などなど。
でも、人の心配や困りごとって、そんなにはっきり中心が見えているものではないですよね。もっとぼんやりしているから不安に(文字通り)包まれているのであって、中心=課題とはまた別のところのたくさんの情報をご本人の言葉で語ってもらってこそ、その人の本当の悩みや願望が立ち現われてくるものではないでしょうか。
小杉湯さんは、すでに飛び抜けた価値のあるハブとして存在していますが、もちろん一朝一夕に出来上がっているものではありません。街の中で何十年何百年と育まれてきた、街の、住民の、何にも代えがたい「財産」なのです。こういう場所、実はまだまだ街の中にあるはずです。
私たち医療福祉の従事者が「街の地力を貸していただく」リスペクトを持って、歩み寄ってゆけば、もっともっと街の財産に出会えるはずです。その出会いの接点を、知恵と着想で捻り出してゆくことを、私としてはデザインと言っています。
「本題」より、「本心」に出会いに行きましょう。
自分が暮らすこの街のために、この街に暮らす自分のために。