会社を立ち上げてもうすぐ丸6年になります。この6年の間、様々な方からのご依頼でプロジェクトやデザインなど関わらせていただいているうちに、こつこつ撒いてきた種がちらほら花開いて、色々と取材依頼やお問い合わせをいただけるようになってきました。
そこで今日は、Skyhook Lab.の仕事の源泉になっている「何か」について書いてみようと思います。
まずはもうすぐ公式リリースになる「高円寺の縁側ぷろじぇくと」についてのエントリーをご一読くださいませ。
https://nc-iori.com/20220719-2/
といった趣旨のプロジェクトなのですが、このプロジェクトについていろんな方から「どうやって思いついたの?」とか「こういうのが本当の地域包括ケアかもしれません」とか、とてもポジティブなうれしい感想をたくさんいただいています。
ちょうど昨日プロジェクトのメンバー会議があり、「高円寺の縁側ぷろじぇくとの独自性ってなんだろう」と検討したところ、中心メンバーからいくつか意見が出ました。
「この街を舞台にして、ひととひとが新たに出会って関係をつくってゆく」
「ロゴをフィーチャーすることで福祉の枠を越えて若い人たちにもアピールできる」
「『縁側』に象徴されるように休むのが目的じゃなく住民参加型でご縁がうまれる」
などなど。中心メンバーからこういう意見が出るのは、プロデュースした者としてとてもうれしく、そのマインドがシェアできているなら必ず成功するなと思いました。
ですが、生み出した瞬間のインスピレーションはちょっと違うところにあります。
こういう包含していくプロジェクトを構想する時にわたしが必ず気をつけていることは、「つらい状況を堪えている具体的なペルソナ(人物像)を設定する」ことです。なぜならそのペルソナに届けられるアイディアならば、他の多くの人にも届く可能性が大きいからです。
縁側ぷろじぇくとで、わたしはどういうペルソナを設定していたでしょうか?
意外かもしれませんね。「小学校低学年くらいの少年」です。
たとえば。
少年がいます。兄弟に知的障害があるかもしれません。父親が精神疾患かもしれません。母親が末期がんかもしれません。この少年が堪えていることってなんでしょう?福祉の本を読んで解決法を考えたり、自分の考えをまとめて役所に交渉しに行ったりできるでしょうか?どうせ友達はわかってくれない、何に困っているかなんて理解すらできない、ただただ堪えているこの少年に大人が伝えるべきメッセージはなんでしょうか?
そこで着想したのが、「きみが生きているこの街は、不安があったり困っている人がいつでも使えるお休み処があって、そこで休んでいる人をいつでも気にかけている人々が住んでいる街なんだよ」というメッセージでした。それを伝えるために、福祉の枠にとどまらずまた老若男女問わず街の人々が愛情を持っている踊り子さんをモチーフにし、踊り子さんだって人目につかないところでは休みたいよね、ちょっとついでにコンビニでコーヒー買うよね、表と裏/光と影をともに表現したかったんです。
ところでこの少年、誰なんでしょう。
書きながらふと、昔の自分なのかなと思いました。現代からタイムスリップしていって、昔の自分に「大丈夫だよ」と声をかけてあげたいのかな、「また会おうね」って約束しておきたいのかな、って。
こんな少年/少女、みなさんの心にも住んでいませんか?