タイトルの言葉、この業界にきてからそこかしこで耳にするのですが、いまだにどうも自分に馴染まない言葉です。他の業種でたとえば「デザイン観」とか「エンジニア観」とか聞いたことがないんです。
昨日、管理者さんと1 on 1ディスカッションをする機会があり、ちょうどこの話になったので、ディスカッションしながらお互いの捉え方や気づきなんかを話しました。
「あなたの看護観は?」と訊ねられたら?
おそらくほとんどの方が「患者さんに寄り添って」「その方自身の尊厳を」などが思い浮かぶじゃないでしょうか。というかそう答えるように訓練されているんじゃないでしょうか。この「こう訊かれたら、こう答えるべし」はいつの間に訓練されたんでしょう。画一的な答えが用意されていることにもとても違和感があります。
その方に寄り添い尊厳を重んじたケアをするためには、ひとりひとりの個性に向き合わなければならないし、ひとりひとりの個性に向き合うためには、「個人」というものをどれだけ深掘りできているかが問われますよね。また、その深掘り方はケア職個人によってそれぞれ違って当然です。なので、「寄り添う」とか「尊厳を大切に」することが大事なのではなく、それらを実践するためにケア職それぞれがそれぞれの方法を編み出すことが大事なんじゃないかと。
そう考えていくと、実は、看護観の正体は「倫理観」なんじゃないでしょうか。
道徳と倫理を混ぜこぜにしてしまっている方が多いですが、実はまったく逆の対立する概念です。専門家ではないので大雑把で恐縮ですが、仮で端的に区別すると、道徳は「集団が個人に要求する言動」で、倫理は「個人を起点にした言動」とします。「女だからこうあれ」みたいのは典型的な前者です。
さて、ケア職に求められるべきはどちらでしょうか。というか、自分自身が利用者になった場合、どちらを持っているケア職にケアされたいでしょうか。ここでさらに重要だと思うのは、「個人を起点=利用者さんを起点」と捉えるだけでなく、「じゃあ自分は?」とケア職自身が自分に問いかけられるかです。それがあってはじめて、「看護観」と「倫理観」が融和していくんじゃないでしょうか。