7月になったので、もう6月が懐かしくなりますね。
特に今年は、すべてが猛スピードで展開している感じがしていて、
今年に入ってからもう三年くらいたったような気分です。
6月で思い出す一枚の葉書があります。
介護の資格を取ってすぐ、先生方の反対を押し切って訪問に飛び込んだものの、
まず自分が訪問介護員としての適性があるかわからなかったので、試しにというか、向いてなかったらあきらめるつもりで、件数制のパートを短期間やっていました。
その時に訪問させていただいていたある御宅。
利用者さんご本人は90歳近い認知症の方だったのですが、家族関係がだいぶ複雑で、どういう血縁かわからない方が何人か同居しており、当然、家の中もかなり荒れていました。そして、どうやら血縁ではないあるひとりの方が、メインで介護をされているようでした。愛想は悪くないのですが、身なりを整えるでもなく、仕事をするでもなく、でもその利用者さんのことは好きみたいで、ケア中もすぐ傍で眺めていたし、慣れてくる頃には話しかけてきてくれるようになりました。
たしか、かなり音楽が好きだったか、彼がバンドをやっているか、詳しくは忘れましたが、たまに「腐った権力が」とか「革命ってさ…」とか、なんつうか、ロックの洗礼をまともに浴びたままな感じのセリフをちらほら聞きましたね。
しばらくして、自分なりに訪問でやっていけそうな手応えも得られたし、そのステーションが男性常勤を募集していなかったこともあり、パート勤務を辞め、別ステーションにて常勤で働くことになりました。
辞める少しくらい前から、「ヘルパーさんってどういう研修するの?」「実際やってみて、しんどい?」と聞かれていたので、分かる範囲のことを教えていたのですが、辞める当日、いつものようにケアを終えて挨拶しようとした時、ふと「あの、わたしもやってみようかな」って。
身内でもなくギャラもなく、それだけ介護を続けてきたのだし、とても性根のやさしい方な印象を受けたので、「是非トライしましょうよ!何か不明なことあれば聞いてくださいね!」と次の就職先の住所をお伝えして、お別れしました。
2年後。
次の就職先だったステーションに、その方から葉書が届きました。6月でした。
その葉書には、前述の利用者さんが亡くなったこと、しっかりお見送りしたあと、勇気を出してヘルパーの研修に通ったこと、実はもうすでに資格を取ったこと、訪問介護で働くのがたのしみなこと、が書いてありました。とても前向きで、力強くあたたかい文章でした。
権力や革命はどこいっちゃったんでしょう。
もしかすると、ご本人がご自身の中で権力を持って革命を起こしたかったのかもしれません。
そんなギフトをいただいてしまっている以上、
私は、さぼるわけにも甘えるわけにもいかんのです。
なので、7月もはりきってまいります!