タイトルのワークショップに入江杏さんよりお声がけいただき参加してきました。
以前から杏さんにお話をうかがっており興味をひかれていた臨床心理士の倉石聡子さん(アップコンセプト・スタジオ代表)が講師であること、アートセラピーがメインのワークショップということで、とても楽しみにしていました。
素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
感じたことはたくさんありますが、倉石さんを軸にした参加者の皆様との対話そのもの、お互いの表現を感じながらお互いをゆっくり知っていく、その対話のプロセス自体がとても有意義なものだと感じられました。それぞれに作品をつくり、お互いの作品について語りながら、批評のように作品にフォーカスするにとどまらず、自然に逸れ、戻り、追いかけながら参加している感触はとても心地好いものでした。作品って先に行くんですよね。
文脈は忘れてしまいましたが、対話の中で、私がある発言をし、杏さんが同意してくれたことがあります。それは、「往々にして利用者さんは、言えていることではなく、むしろ言えてないことに本心が宿っている場合が多い」ことです。もちろん、言えていることからも意味を拾うのは当然ですが、現場での経験上それだけでは不十分で、歌や詩として五感で受け取ることを心がけていました。
エビデンスがあるわけではないのですが、おそらく、不安な状態、混迷した状態にある人って、依存先を振り分けるバランスがうまくいってないゆえに、内面を補強しようとする傾向があるんじゃないかと考えています。自分にも身におぼえがあります。
極端な言い方をすれば、「あなたの希望を聞かせてください」と語りかけられた時、個人として告白する役割を「相手に強制されている」状態になります。「わたしは~したい」が基準になり、その基準に沿った言動でなければ答えていることにならない状態、いわば「制度下に存在している状態」とも言えるかもしれません。
ですが、そもそもその基準に沿えるような自力が保持できているならば何も困らないわけで、その前段階として、「わたしは~」に続けられる状態にある人なのかどうかを察することがとても重要だと思っています。そして、それは、本当に、「前段階」なのでしょうか。
言語化できれば自分の外に出せますが、
出せなければ、いずれ自己の器を超えて溢れ出してしまいます。
あるいは、器自体が内圧に耐えられず決壊してしまうでしょう。
さて、どうするか。そのヒントがアートセラピーにはあると感じました。
この話、掘ろうとするとブログではおさまらないので、このあたりで止めますが、アートセラピーには、その硬直を解放させる可能性があると感じられてうれしかったです。ご興味ある方、是非体験してみてはいかがでしょうか。
前回の講演と同様、テレビの撮影が入っていました。杏さんの活動への敬意が感じられる丁寧な撮影クルーの方々でした。
年末の特番で放映予定だそうです。素敵な番組になりますように。