個人事業系の異業種から入ってきたせいか、わりとよく「訪問看護をやろうと思ったきっかけは?」と聞かれます。
正直なところ、きっかけは今までのすべてだと思っていて、いつも答えに困るのですが、それなりに思いあたるフシはあるので、今回はその中のひとつについてお話ししてみたいと思います。
このブログでも紹介したことがある祖母についてです。
花街の酒屋さんを商売でやりながら、酒屋の奥の居間でお弟子さんたちに稽古を(たくさんの免状を持っていました)つけていた人で、私はこの方の影響を結構受けている自覚があります。
超優良個人事業主とでもいうのでしょうか。酒屋の番頭やりながら、お弟子さんがきたら稽古つけて、夜は宴席のヘルプで呼ばれて、仲居にとどまらず厨房で食事までつくっちゃっう上に、最後にはごっそりビールの注文とって夜中に帰ってくる…。私がイメージする「大人が働くこと」ってこういう感じなんです。もちろん、不平不満どころか愚痴ひとつ言わず、「そのうち、ひとりカルチャーセンターつくってみせる!!」と豪語してました。その後の世の流れを見ると先見の明があったのかもしれません。※余談ですが、私の大切なファーストキスを奪ったのもこの人です。
祖母がある日、転んで骨折しました。
少しでも楽になるように実家のソファベッドをプレゼントし、そこで過ごすようになりました。祖母の性格からしてめちゃくちゃ負けず嫌いなので、病人扱いも嫌がり、意気揚々として復帰を目指していました。でも、そのうち、上がり框が高い昔の商店での暮らしもしんどくなり、商家ごと売却して近所のマンションに引っ越しました。そこからです、吃驚する速度で一気に落ちたのは。
いまこういう仕事に携わるようになってつくづく感じるのは、骨折したり、怪我したり、など身体機能の剥奪にはまだ人は耐えうるけれど、自分を包む匂いとか景色とか、自分が何かをしたり考えたりする時の器になっているもの、そういったものを剥奪されると、外への興味が失われるということです。
その後、祖母は施設に入所し、みるみる落ちていき、亡くなりました。
当時の私には、そのことに異議をとなえることはできませんでした。仕方ない、と。
誰からも個性的といわれた彼女、エキセントリックだった彼女、毎月銀座に遊びにきていた彼女、最期の時間は、けっして彼女にふさわしいものではなかったと思います。
誰も悪くないし、誰にも悪意はなかった。
でも、私、ずっと後悔しているんです。何の根拠もない、理屈で消しようのない気持ちなんです。
だからきっと、本当のことなんだと思います。そんな得体の知れない黒々とした怒り、自分に向かう怒り、がこの仕事をしているきっかけのひとつです。
「後悔」は、「後から悔やむ」と書きますが、先に悔やんでいれば実践にチャレンジしていけるので、いまの私は「先悔」でもしているんですかね。よくわかりません。
こんな思いを誰にもして欲しくない、ってことです。
あんなにかわいがってくれて、あんなに守ってくれた人なのに。
祖母には御返しできなかったので、もう町に御返しするしかないんです。
とは言っても、したたかで狡猾な人だったんで、こんな風に私をおとしいれる謀略だったのかもしれないですけどね。