三が日に添えて

新年なので、新しいお話、いまのお話がいいかなと思います。
とある呑兵衛さん、Aさんのお話にしましょう。

Aさんとはじめて会ったのは、2004年頃です。
当時新宿の外れで小さな飲み屋をやっていたのですが、そこにふらりと地元住まいのAさんがお客さんとしてやってきたのでした。その時のAさんの歳は、「おれ、尾崎豊と同い年」と言っていたので、たしか38か9くらいだったと思います。

常連客で成り立っているような小さな店で、ミュージシャン、デザイナー、プログラマーなどの個人事業主、クリエイターさんやその卵さんが多い店でした。ひとクセもふたクセもある連中が多い中で、一見するとどうも雰囲気的には合わないAさんは、どういうわけだか居心地よかったらしく、すぐに常連さんになってくれました。
話してみると、実はITエンジニアで(まるで見えない)、年齢の割に老けていて、ひとり者で実家暮らし、女の子に貢いで裏切られたことありまくり、四十路前ですでにいっぱしの呑兵衛オーラを身にまとっている、まあその時点で、ちょっと只者じゃあないですね。つうかキャラ立ち過ぎです。

とはいえ、さすがマジもんの呑兵衛なので、もちろんタチ悪いこと多々です。
常連客の作品に酔った勢いでケチつけて返り討ちにあったり、常連客の女の子が連れてきた彼氏と喧嘩になったり、同僚の後輩たちを連れ回してわしゃわしゃ(あり過ぎてめんどいので以下略

店主だったおれは、まあその都度毎回付き合うことになるわけですが、最長で開店18時〜(閉店3時を通り過ぎ)〜9時まで一緒に飲んだことあります。Aさんは途中カウンターに突っ伏して寝てる時間もありましたが、他の客の出入りをすべて過ぎて、お外はもう明るい時間。明るいどころか、夜中の3時に帰った客が翌朝出勤するのを見送り終えた時間です。

もうね、そこまで一緒にいると、さすがに話すこともなくなってきて、「あのさ、美味しいライムジュース知ってる?」とか、まるで興味ないことまで喋らなきゃならない会話のプラックホール状態になるわけです。間違いなくAさんは、カウンターからライムジュースの瓶が目に入ったので、間をつなぐためにそう発しただけです。

つうか、そろそろAと呼び捨てましょう。

そういえば、Aおすすめの店に連れて行ってもらったこともたくさんありました。超絶嗅覚の鋭い呑兵衛さんだったので、これがまた、名が知られていないのにめちゃ美味い店ばかりで、それはもうさすがでしたね。呑兵衛マナーとして「好きなもの注文していいから、残すな」これは毎度言われました。他には、ピクニック代わりに競馬場行ったり、客仲間のコンサートに日比谷野音に行ったりもしました。「いつもおれが奢ってやってるやつが野音のステージで歌っている」ことがやけに誇らしげでした。

ある年明けくらいから、あんまり来なくなって、久々に顔出してくれた時に「大丈夫?」と聞いたら、「いやあ、なんか最近もどしちゃうことが多くてさ、洗面器2杯とか」と言っていて、まあ年末年始の飲み過ぎだろうと思っていたんです。

そのままたまにしか来ない日々が続いて、春の朝に、Aは突然亡くなりました。享年42。

朝ご家族が起こしにいったらすでに亡くなっていたそうです。
連絡する相手を調べようとご家族が携帯を見てみたら、よく知らない相手と大量に、しかもやけに馴れ馴れしくメールしていることに弟さんが勘付いて、店のアドレスに連絡をくれたのです。

よくよく聞いてみたら、住んでいた実家から徒歩圏内なのに、店のことをご家族は一切知らなかった。
しかも、Aは持病を抱えていて、飲み続けていたら命がないのは本人も知っていた。

通夜に、よく知らない連中(アメリカ人やオーストリア人も含む)がわさわさ押しかけたので、ご家族はだいぶ混乱されていました。Aとまるで違ってとても真面目そうな弟さんからは「兄にこんな交友関係があるなんて、まったく知りませんでした。兄の自分だけの居場所だったんですね…。ありがとうございます」と言われました。というか、その時に「はじめまして」とご挨拶しました。

その日、常連客がそれぞれひとり一輪の花を持ち寄り、いつもAが座っていたカウンターの席に飾って、みんなでけちょんけちょんに言いながら朝まで飲みました。

またよりによって、「ほら、おれみてえなボンクラ抱えた親父のためによぅ」と自分で自腹を切ってこしらえた新品の墓に自分が一番先に滑り込むという離れ業をなしとげて、ハイパー級のあほですよね。

気が弱くて、自信がなくて、甘ったれで、自分自身であることを嫌悪していたA。
でも、おれもそうですよ。でも、みんなそうじゃないですか?

医療介護で最近よく言われる「その人らしく」
きっと素敵なことなのだろうけど、個人的には違和感があります。
そもそも人は、善悪、陰陽、幸不幸、その混血として生きているのだと思うからです。

ポジティヴな社会改革、素晴らしいと思います。それを掲げている人は信念も勇気もあると思います。でも、それが為されないからといって、マウントとりあったり怒りの矛先を向けあったりして窮屈になってしまうのは、やっぱりスジが違う気がします。
人は本来、曖昧で澱みながら生きるほかなく、ふとしたことでうっかり壊れてしまう存在だということから、目を背けていると思います。

昨日友人から「たまたまあの辺通ったから、ついでに墓参りしといたよ」と連絡もらって、自戒を込めてこのことを書いとかなきゃと思いました。なんだかんだ、散歩がてら墓参りしてる客仲間が結構いるみたいなんです。亡くなってからもう10年以上たっている、いまも。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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