今日はちょっと今までにはないテイストで「経営者として」書いてみたいと思います。
なんでこれを書こうと思ったかというと、コロナ禍で仕事を辞めることになってしまったり、あるいはこれを機にやりたかったことをやってみようとか、働き方を変えてみようとか、そういう方が次の選択をする時に少しでも手がかりになればいいなと思ったからです。
タイトルから誤解をさせてしまうかもしれませんが、モノよりヒトを大切にしようとか、そういう主旨では書いてはいないことをはじめにご了承ください。
私は、大学を卒業したあと、思うところあって就職活動をしませんでした。なので、バイトで食うしかなく、そこから始めて個人事業主になり、屋台やったりお店やったりして、いまは小さな会社を経営しています。
もちろん、実際の私自身はいち零細企業の経営者でしかなく、そんな知ったようなこと言うのは憚られるのですが、こういう胡散臭い生き方をしてきたおかげで、いろんな人と出会ってはきています。世界的な有名企業の幹部さん、都内の大地主さん、一級のクリエイター、才能あるあすなろさん、などなど。そういう人たちとの関わりから感じることと自分自身の実情や本心を含めて、タイトルの件についてお話ししたいと思います。
端的に結論から言います。
ほとんどの経営者や事業主は、モノを買うのではなくヒトを買います。
これ特に営業の機会がある人には知っておいてもらいたいことで、おそらく、その「ヒトを買う」決断のスピードは、営業をかけている人の想像のはるか上をいっている体感があります。そして優秀な経営者ほどそのスピードが速いと感じます。
なんでかっていうと、結構単純な背景によるものなんです。
多くの経営者には、たくさん営業の申し入れがあり、たくさんのケースをプレゼンされます。なので、商品やサービスは一長一短だということも知っています。相手が儲けようとしていることも知っていますし、儲けるにはエグ味が必要だということも知っています。そして、実際に経営している本人であるので、そもそも経営の打率なんてせいぜい1割程度でしかなく9割は失敗だということも今までの人生で嫌というほど味わってきています。つまり、商品やサービス自体は開発事情や新興企業の影響でころころ変わることも当たり前だし、そもそも「自分の会社を助けてくれる魔法の一手」なんてこの世にあるわけがないことを、もう駄々こねてバブバブした後にお祈り捧げちゃいたくなるくらい知ってるんですね。
判断と決断の違いとも言えるかもしれません。
判断を繰り返していられるのはある種の猶予がある局面で、つねに最終判断を迫られる経営者は決断を繰り返しているので、それゆえの嗅覚みたいなものが嫌でも染みついているんです(だからスゴイとかエライとかじゃないです)。
ということは、結局「こいつと付き合ってみたいな」と感じる相手からモノを買うことになります。それが正解だからじゃないんです。そういう選択をすれば、うまくいかなくても納得できる、自分で責任をとる気になれるからなんです。実際、弊社に営業にいらした方でパートナー感覚でお付き合いさせていただいている方とは、そういった理由でお付き合いを続けています。
これ、ビジネスサイドの話として書いてますが、所属先やチームメイトに対してもそういう感覚で選択していくと、自分自身で「責任をとる」「参加する」意識が持ちやすくなり、精神的に健康でいられるはずです。実際私は、弊社の取締役と管理者に対してそういう感覚を持っています。この人とがんばって失敗したらしゃあないや、またやり直せばいいや、という精神面でのセーフティーネットみたいなものですね。
いま物心ともに非常に苦しく厳しい局面にいらっしゃる方が多いはずです。私で何かできることなどまるで思いあたらないのが情けないところですが、今までの日常と常識が崩れていくのは避けられないと思います。次の働き方や生き方を悩み考えている方へのエールをこめて、「経営者として」の現場から書かせていただきました。