久しぶりのエントリーになりました。
楽しみにしてくれている方(もし、いらしたら…!)
期間が空いてしまい申し訳なかったです。。
さて、この前の日曜日、デザイナーの友人と飲みました。
彼は先日、今まで勤めていた某超有名アトリエを退職し、
来月からしばらく南米数カ国に滞在しつつ起業するそうで、
渡航前に一度会いたいからと誘ってもらって飲みました。
もうかれこれ13年ほど、彼が19歳の頃から知っているのですが、
当時から知っている者として、素直にうれしく、
また、なるべくしてここまでになったな、と。
彼は友人であると同時に創作活動のチームメイトでもあり、
ちょうどいまその作品群が台湾で展示されています。
本当は私も現地に行きたかったのですが、
ここのところ社内がバタついていたので、今回は飛ばしました…。
飲みながら話している最中、
「○○さん、以前に言ってたユニバーサルデザインでおれ関われないっすか?」と訊かれ、
なんで自分がこの業界にいるか、そもそも何を目指していたのか、
自分なりに整理しつつ彼に話しながら、再確認できました。
私が目指しているのは、リデザインです。
ステーションとしてパイを増やして儲けたいとか、
誰かを救いたいとか癒したいとか、
それは手段になりえても、目的ではないのです。
近い将来、種族として初めて直面する silver tsunami の影響はネガティブなことばかりではありません。
その迫りくる現実によってこれだけ医療や介護が注目されているわけで、つまり逆手を取ればいいんです。
もしかすると、ここまで医療介護が注目される時代は二度と来ないかもしれません。
ならば、いまのうちに、
本当に人間が欲するケアとはなんなのか、
福祉はどこを臨界点に本人主体でなくなってしまうのか、
ケアを提供する側の事情はどこまで通用するべきなのか、
いったい健常者とはなんなのか(私個人としては”ちょっとばかり器用な人々の集合”と定義しています)
AIではこなせないであろう仕事の価値と対価をどう抽出すべきなのか、
などなど、こういう時代でなければあまり気にされなかったことが、気にされるようになっているわけで、
あとは事業者側の発想力と実行力に委ねられているということです。
まだ一歳そこそこの会社を経営していると、
当たり前のように紆余曲折はありますが、
そういう時こそ、あらためて初心に戻り、
いおりらしさを追求していきたいと思いました。