祖父の死で

しばらく間が空いてしまいました。
実は今月初旬に祖父が亡くなり、同時期に仕事でも色々と動きがあり、心身ともに超低空飛行していた4月でした。おかげさまで、いまは回復に向かっている感じがあります。とはいえ、デザインでの新たなご依頼が続いていて、ありがたき幸せな悲鳴はしばらく続きそうですが…。

さて、昔風の言い方をすれば、私はいわゆる本家の直系の孫にあたります。
そんなわけで、特に仲が良かったとかウマがあったとかいうわけでもないのですが、祖父の葬儀では親族代表としてお別れの言葉を述べました。
スピーチ当日は、大枠だけ決めておいて、ほぼアドリブでマイクの前に立ったのですが、火葬の後、何人かの参列者の方が「すごく心に響いた」とか「感極まりました」と言ってくださいました。実はそのお別れの言葉では、自分の現場経験、とある利用者さんの言葉を引用させてもらったので、いまは亡きその利用者さんへの御礼も込めて書き残しておきたいと思います。

デザインラボとしてステーションを立ち上げたくて、でもただ事業としてビジネスとしてやるのは嫌で、現場経験を積みたくて訪問介護の現場にいたことは以前にもお話ししたことがあると思います。その現場時代の初期に出会ったひとりの利用者さんがいます。

その方は予科練出身、ようは特攻隊の生き残りの方でした。いつもパリッとしていて、かくしゃくとしていて、かっこよくてダンディーな方でした。予後があまり長くないのはご本人も認識されていて、でも最後まで自宅で過ごしたいと、杖を使いながら、ご自身でのリハビリも怠ることなく暮らしている方でした。

ある日のこと。
何の気なしに「昨日、群馬にいる祖父に会ってきたんですよ」と言ったら、少し間を置いた後、突然その方がこどものように泣き出したんです。ああいう泣き方を嗚咽というのでしょうか。こちらも普段とのあまりの落差に吃驚して、これは只事じゃないと思い、介助をストップして横に座ったまま、話してくれるまで黙っていました。

「きみのおじいさんが心底うらやましい」
絞り出すようにそう言われました。その後に続いた言葉は、その方の表情とともに鮮明におぼえています。おぼえていますというか、忘れられないです。お話を聞いてみると、自分は予科練のエリートだったこと、国を守るために死ぬ覚悟はできていたこと、特攻隊の仲間が目の前で機銃掃射され生き残っている自分を恥じてきたこと、恥じているだけでは情けないから戦後死ぬ気で努力して事業を成功させたこと、事業を成功させて親族のフォローもしてきたこと、お子さんも芸能界で成功されていること、そしていま自分がこういう死を間近にした状態になってみると、かつてフォローしてあげた人たちはほとんど会いにこない、こどもは成功に浮かれているだけで顔を見せにもこない、孫も連れてきてくれない、いったい自分は命をかけてまで何を守ろうとしたのか、まったくわからなくなってしまったと…。

「内山くん、たしかに世は移ろうよ。でも、きみがたった1分でも顔を見せに行ってあげることがどれだけおじいさんを励ましているかわからないんだよ、それだけはわかっておいてほしい」と。

その利用者さんのお話がわかるとは言いたくありませんし、生き抜いてきた境遇と厳しさがあまりに違いすぎて、自分程度の甘ちゃんではわかってあげることすらできないと思います。でも、その方が私に伝えようとしたことは、これからもおぼえているつもりです。

その日のケアを終えて退室する時、「いやあ、取り乱してすまなかった」と照れ笑いされていたのが印象的です。当たり前ですよね、みんな強くて、みんな弱いんです。

そして私が「おじゃまいたしました、また明日訪問させていただきますので」と頭を下げ、次に顔を上げると、その方は、片手で杖をつきながら、気恥ずかしそうに敬礼をしていました。

どこかの哲学者が「過去は過ぎ去らない」と言っていたような気がしますが、その通りだと思います。自分自身においても過ぎ去ったようなふりをしてはいけないし、他人の過去に対してはもっとそうだと思います。もしかすると自分が意識すらしていない当たり前にあった過去こそ、大切に扱わなきゃいけないのかもしれません。

祖父が亡くなった日、小さい頃に、祖父なりのご馳走としてよく食べさせてくれた鉄火巻を食べました。美味しかった。

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