弊ステーション2Fの休憩室にはこんな本たちが並んでいます。
この中で、たくさん付箋のついている一冊があります。
光の加減もあり、ややくすんでいてわかりにくいのですが、
左から8冊目、医学書院さんの「ケアをひらく」シリーズの中でも、
特に好きな一冊『ソローニュの森』です。
おそらく、いわゆる書評的なものは、
もうすでにいろんな方が書いてらっしゃると思うので、
わたしは、ちょっと違う書き方でご紹介してみます。
舞台は、ラ・ボルドというフランスの精神病院。
田村尚子さんという写真家が、写真と文章で綴っていきます。
患者さんの会話、患者さんの表情、
患者さんの手紙、患者さんの孤独、
その「患者さん」を「ソローニュ」に言い換えられ、
しばらくすると、ふと「どこか」に言い変わる本です。
何度読み返しても、何かを見過ごしたような気がする。
そもそも、見過ごすことを設定づけられている気すらする。
自分なりの解釈と編集がまるでおよばないイメージが、
次々に動いてゆきます。まるで呼吸を続けるように。
イメージを運動させていくのではなく、
イメージが運動を欲している運動です。
球技のようにダイナミックにボールは動きません。
蹴鞠くらい昔に忘れられた遊びでもありません。
こういうの、ほんとは知ってるよね。
と、体内にイメージがすべりこんで語りかけてくる。
途中「詩的なロジック」という言葉が出てきます。
詩は、安定した言語同士のつながりを超越する衝突、
意味同士の衝突から創造されていくとするなら、
それはまさに「他者」が必要とされるということです。
たえず他者とくっついたりはなれたり、
出会うたびに新しい様相を交換し合い、
無限の呼吸をいつも予感していること。
ふと引き込まれて、息を止めて、
見つめれば見つめるほど、見つめ返してくる。
そういえば、ひとり目を閉じた時に浮かぶ世界は、
こんな感じの、重力のある明るさじゃなかったかな。