日曜日の読書で振り返ることなど

最近いつもバッグの中に入れている本から、ある一節をご紹介します。

多くの子どもが、とうてい果たせない「無理難題」を課せられたことをきっかけに自殺の実行に踏み切っていることを強調したいと思います。
「無理難題」には、家から多額のお金を盗まなければ果たせないようなものがあります。あるいは、小さい時から可愛がってもらってとても仲のいいおばあちゃんとひとことを口をきくなという「命令」もあります。
いじめのある世界に生きる君たちへ』より。

この本は、日本を代表する精神科医で、知性である中井久夫さんが、自身のいじめられた体験と臨床経験をベースに著した一冊で、格調を保ったまま誰でもすっと読める平易な文体で書かれています。個人的には、一家あるいは一校、いや、一部屋に一冊をおすすめしたいくらいの名著です。

そこで冒頭の一節。
書き出しの主語である「多くの子どもが」を「多くの大人が」に言い換え可能なことはすぐに気づくと思いますが、いじめメソッドを教えてくれる塾なんてありませんので、子どもたちは巧妙に大人社会の不幸を再現していることになります。
しかも、まだ行動力も発言力も身につけていない存在のまま、警察も裁判所もない、非常に小さな閉じられた社会の中に生きているわけですから、行き詰まりがすぐそこにあることは容易に想像できます。何年か我慢すれば卒業?いやいや思い出してください。子どもの頃の三年はほとんど永遠です。

さて。
いじめそのものに関する洞察は本書を読んでいただくのをおすすめするとして、自分の体験から、ふと抉られたイメージが立ち上がってきたので書いてみます。

私を個人的に知っている方はなんとなく想像つくでしょうが、私自身はいじめたこともいじめられたことも(強い記憶としては)ありません。中学校の同級生だった女の子に「あ〜、一匹狼だったもんね」とか言われる始末なので。
ただ、うっかり巻き込まれそうになった局面というか、ムードは断片的におぼえています。
本書を読んだことをきっかけにその風景を思い出して、情けなく恥ずかしくなったのですが、振り返ってみると、その時その場にかかっていた重力的なものをなんとなく感じとることはできました。

それは、いじめを仕掛ける側の「不安」です。
そして、それを悟られまいとする「賭け」の感覚です。

冒頭にご紹介した一節、この誰もがピンとくる一節のおぞましさの本質は、無理難題が発生している根源そのものがまるで見えてこないことです。

これが何を意味しているのか、ということです。

きっと、いじめを仕掛ける側の背中にべったりと貼り付いている強迫観念、それは「世間」なんだと思います。

様々な背景があるにせよ、いじめが発生する地点にはおそらく「世間的な」無理難題を強いられ、ほとほと嫌気がさしている者がいるんじゃないでしょうか。ほとんど自身の存在権を失いそうなくらい無力感にさいなまれている者がいるんじゃないでしょうか。

自身の空虚感を他人をつかって穴埋めしようとする人間の爆発的な行動力は、大人社会でもよく見かけます。

ならば、子どもの自分は、その大人をどう感じているのでしょうか。
こちらから振り返るのなら、子どもの自分からも振り返られるべきです。

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