今日の日を迎えると、やはり、なんらか思いを馳せずにはいられません。自分の親でさえ戦後生まれのわたしでも、戦争に行った亡き祖父が話していたこと、おそらく隠そうとしていたこと、かつて軍人だった方が戦後の社会を生きていく上で、わたしでは窺い知れない自己否定と正当化と、いったいどれほどの葛藤があったのでしょう。
昨今、政治と宗教がらみのニュースが一気に増えました。ニュースの中では、戦犯だった方の名前もちらほら出てきます。
実は、わたしが毎年、今日の日にいつも思い出す人物も戦犯だった方です。
今村均という人物をご存じでしょうか。メディア的にはけっして有名とは言えない人物ですが、個人的には、なぜこの方がここまで知られていないのか訝しく、なんらかの作為が働いているんじゃないかと感じるほどです。
今村均(大将)は、戦後、オランダとオーストラリア両国の軍事裁判にかけられ、禁固10年の刑で巣鴨プリズンに送られました。ここで今村はマッカーサーに直訴します。何を訴えたか。自分の減刑ではありません。
今村は、「自分の部下たちが現地の戦犯収容所で苦しんでいるのに、自分だけがのうのうと日本にいることはできない。どうか、部下と同じ環境で服役させてくれ、現地に自分を送ってくれ。」と直訴したのでした。マッカーサーは「日本ではじめて真の武士道にふれた」と語ったとされています。直訴は許可され、今村が現地の戦犯収容所に着いた時、かつての部下たちは大歓声で迎え、その日、夜明けまで語り明かしたそうです。
ちなみに、戦時中の今村は非常に卓越した指揮官であったことが知られています。本国からの食糧供給が絶たれることをあらかじめ察知し(戦没者の6割以上が餓死か栄養失調による病死とされています)、現地に畑をつくり自給自足体制を実現していたため、終戦まで配下の者たちを飢餓に陥らせることがなかったそうです。
その後、現地の戦犯収容所が閉鎖になった後、部下たちと帰国してからの今村の行動にも心打たれるのですが、ここでは割愛します。
わたしは、戦争賛美もしたくないし、右翼的な人間でもありませんが、今村のような人物に人間としての深さや大きさを感じざるを得ません。政治、経済、文化、いつも世情は揺れ移ろいながらも、こういう人物こそが、「人間の尊厳」を紡いできたんじゃないでしょうか。
今村本人は、直接対面するとなんともいえないあたたかさを感じる人物だったそうです。ここまで腹の据わっている人物が、威厳や圧力とは無縁だったということに、真実を感じ入ります。
そしておそらく現代にも、こういう資質の人物は存在しているはずです。目立つこともなく、担がれることもなく。