年の瀬のご挨拶

年の瀬に思い出されることは人それぞれですよね。
おじいちゃん家に泊ったこと、年末特番を楽しみにしてたこと、いつもと違って大人たちがわさわさ集まっていること、などなど、みなさんの中で立ち上がってくるのはどういう思い出でしょうか。

わたしにも年末年始の思い出は悲喜こもごも含めてたくさんありますが、毎年思い出さずにいられないのは、世田谷一家殺害事件です。

実は、被害者遺族である入江杏さんとは、事件からしばらく時を経てご縁をいただき、お付き合いをさせていただいています。またそのご縁から、弊社主催のワークショップで講師をつとめていただいたこともあります。

当時のニュースをいまだに鮮明におぼえています。
ニュースそのものもですが、当時たまたま一緒にテレビを見ていた人が思わず口にした「かわいそうに」という言葉、その言葉への、自分の、とっさの感覚的な拒否とともによみがえってきます。

もちろんその人は善意から口にしたのだと思います。でも、こちら側、実害を被っていない側からの「かわいそうに」によって、本当のことが起きている人、つまり当事者が一気に追い込まれるような感覚が、当時自分の中に立ち上がったのをおぼえています。何気ない反射的な善意によって、あっという間に遠ざけられて孤立してしまう人がいること。そのリアリティが急に目の前に現れ、その怖さとともに、自分自身がこういうことを気にする人間なんだという、自分自身の現実を突き付けられた気がしたのです。

とはいえ、当時の自分は、特に明確に拒否することもできず、なんとなくのわだかまりとして自分の中にずっと溜まっていました

そして事件からしばらく時がたって入江杏さんとご縁をいただき、杏さんがグリーフケアの啓蒙普及活動をされていることを知った時、なぜだか、とても自分自身が救われた気がしました。こわばっていた部分が溶け出していくような感触をおぼえました。

杏さんはグリーフケアを「亡き人との出会い直し」と語ります。
わたしはそれを聞いた時、そして実際にお話してみて、自分なりの気づきがありました。それは、わたしたちは往々にして「亡き人との出会い直し」というよりは「亡き人についての○○に出会い直し」をしてしまいがちなのではないかということです。前者では出会い直しにより自分もまた変わり、後者では自分は変わらない感覚があります。死者は変わりません。変わるとしたら自分です。

もしかすると、このことは、グリーフケアの枠にとどまらず、ケア全般に通ずることじゃないでしょうか。もっと言えば、ケアの枠にすらとどまらず、他者との関係すべてに、他者とともに生きることそのものじゃないでしょうか。そう考え、杏さんに講師をしていただいた次第です。

わたしには体系的に語ることは出来ませんが、いまでも様々な局面での手がかりにさせてもらっています。(一般的には)グリーフケアという「死者」から派生してくるケアが、「生者」たちが暮らしていく手がかりになること、とても興味深いと思いませんか。

今年も色々ありました。
Skyhookにもいおりにも自分自身にも、ポジティブなこともネガティブなことも山ほどおきました。でもあらためて、自分たちが信じている道を行こうと強く思えた一年でした。杏さんとのワークショップから始まった一年は、医学書院さんの取材で締めくくられ、応援してくださること興味を持ってくださること、言葉をいくら尽くしても感謝を表せません。なんて恵まれているのだろうと感じています。本当にありがとうございます。

来年も、再来年も、いつも、いつまでも、「存在について」考えるだけでなく、「存在」に出会いに行く、そんなデザインラボであり訪問看護ステーションでありたいです。

今年もみなさまには大変お世話になりました。
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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